【新唐人日本3月23日】
【司会者】
こんにちは、“世事関心”の時間です。カリフォルニア州のアーバイン市――ニクソン元米大統領の故郷には、大統領の名を冠した図書館と基金会があります。歴代米大統領の図書館の中でも、ニクソン図書館は最も特殊です。
最も特徴的な2点とは、まず2007年まで唯一個人所有の元大統領の博物館だった 点。第2が米国で唯一展示品において、中国の元指導者――毛沢東と周恩来の彫像がある点です。ニクソン図書館の毛沢東像に関し、2009年6月から一連の 出来事が起こり、社会の脚光を浴びました。
ロサンゼルス東南部のこの町は、カリフォルニア州第2の人口を誇り、ここ数年、華 人の人口が急速に増えています。2000年からの9年間で、約45%増加。カリフォルニア州のオレンジ郡アーバイン市の18万5千の人口のうち、華人は2 万2千人を占めます。そこで、中国関連の話題が社会の注目を浴びるのです。
アメリカで唯一無二とされる毛沢東と周恩来の銅像が、ニクソン図書館に展示されています。傍らには、ニクソン元大統領と交遊のあった、世界の指導者11名の彫像もあります。
例えば、イギリスのチャーチル首相。フランスのド・ゴール大統領。旧ソ連のフルシチョフ氏など。ただし、毛沢東と周恩来の彫像だけが座った姿で、ホールでもっとも目立つ場所に置かれています。
2009年6月、現在ロサンゼルスに住む、バスケットの元中国代表、陳凱氏がニク ソン図書館で毛沢東の彫像が飾られている点に抗議。自由を愛する中国人移民として、アメリカ国民として、ニクソン図書館と交渉することにしました。毛沢東 と周恩来の彫像を直ちに撤去するよう求めたのです。
2009年10月1日、国慶節60周年で北京が沸いていた頃、陳氏はニクソン図書館の外で、抗議をしました。陳氏が始めた“毛沢東像の撤去運動”は、中国人だけではなく、アメリカ社会の価値観にすら関わるものでした。そこで、アメリカの主要メディアも注目します。
アメリカで発行部数第4位の新聞、“ロサンゼルス・タイムズ”は、“ニクソン図書館が醸した物議”という見出しの記事を掲載。また“ニクソンの遺産が図書館でよみがえった”と題する記事でも、この事件を取り上げました。
さらに、ボイス・オブ・アメリカ、NBCテレビもこれに注目しました。この事件は、華人コミュニティーという枠をはるかに超えて広がっていったのです。
歴史上の人物として、毛沢東に関する映像と文字の資料は、みな公文書や書籍の中に残されています。歴史に対し、個人の意見を発表することも出来るはずです。一方、陳氏は毛沢東の彫像が図書館に展示されている点に抗議しました。これはなぜなのでしょうか。
バスケの元中国代表 陳凱
“歴史上の人物 を陳列することには私も抗議しません。ニクソン図書館には、毛沢東像のほか映像や写真があります。これには抗議しません。歴史は記録されるべきです。ただ 歴史を読み解くのが肝心です。同時に、銅像自身がその他のいわゆる世界の指導者の銅像と一緒に置かれています。民主・自由世界の指導者たちが毛沢東像と一 緒に置かれている、そして全ての人が敬い慕う。これは非常に道徳をゆがませ、ふさわしくないです。
私は以前、電話でルーズベルト大統領図書館に尋ねました。当時、ルーズベルト大統領はソ連と同盟を結んでいましたが、スターリンの銅像を置いていますかと。当時、図書館の責任者は否定しました。スターリンの銅像は置いたことはなく、置きたくもないと言いました”
【司会者】
図書館側によると、世界の指導者ホールの銅像はニクソン元大統領が決めてから、NYの芸術家2名が完成させました。これら銅像の姿勢とデザインには、統一した考え方があります。作品が完成したのは1990年。欧米が天安門事件で、中国政府を非難していた頃です。
この毛沢東と周恩来の像からは、ニクソン氏と中国共産党の特殊な関係が見えてきます。ではまずは1972年のピンポン外交をご覧ください。
米テレビアナウンサー
“こんばんは、米国第37代大統領リチャード・ニクソン氏が中国を米国トップとして史上初めて、世界一の人口の国を訪問”
1972年2月21日、アメリカ国民は夜のニュースで自国の大統領の北京訪問を知ります。アメリカは、最も独裁的な共産党に対し、自由世界への扉を開いたのです。
長年の敵同士が突如、友好な関係になったのは、共通の敵――ソ連に対抗するためでした。
1960年代か ら、アメリカは次々と挫折に見舞われます。例えば1961年、カストロ政権の転覆作戦が失敗。そして泥沼にはまったベトナム戦争。死傷 者が増え続け、反戦活動がピークに達します。この時期大統領に就任したニクソン氏は、まずは内政問題を一番の優先課題にしました。
したがって中国を支持し、ソ連と対抗することにしました。アメリカの力の衰えによる、ソ連の勢力拡大を防ぐのが狙いです。この頃中国政府は、ソ連との関係が急速に悪化していました。さらに欧米からは経済封鎖を受け、孤立していました。
毛沢東は米ソの板ばさみになるのを避けるため、欧米との関係改善が急務になりました。こうして、両者の思惑が一致したのです。
ニクソン大統領は、中国訪問により平和と協力がもたらされると考えていたといいます。この米中関係の急激な接近は、国際社会に衝撃を与えました。大統領の影響力も増し、政治家として絶頂を迎えましたが、これも長くは続きませんでした。
1972年大統領が中国訪問したその年、大統領の関係者が、選挙戦のライバル――民主党の入るビルに盗聴器をしかけたことが暴露されます。
ベトナム戦争終 結という功績で留任を果たしたニクソン大統領ですが、ウォーターゲート事件によって事態は一変します。1974年、国会が弾劾決議を準備していた頃、同年 8月8日、失望の面持ちで辞職を発表。史上初めて、アメリカの大統領が、弾劾を受けて辞職に追い込まれたのです。
ニクソン大統領・辞職演説
“ウォーターゲート事件”によって、国会の支持を得られなくなるでしょう。非常に困難な決意をする必要性を考慮しています(辞職)。この職位において、国益にかなう形で私の職務を履行します
不名誉な形で職を去ったニクソン大統領。そのため、ニクソン大統領図書館はずっと、アメリカ国立公文書館の大統領図書館に認定されませんでした。
2007年、図書館の管理にあたるニクソン基金の要求で、アメリカ政府は公的施設としての認定にようやく同意。2009年の段階で、連邦政府とニクソン基金の引継ぎが、まだ行われていました。
我々新唐人が観察したところによると、ニクソン図書館の海外の所蔵品において、中国のものが大半を占めます。しかも毛沢東像の見学者の中には、華人の姿も少なくありません。
“僑報”は2009年2月、ニクソン基金の代表、ジョンソン・タイラー氏の言葉を報道。この数年、図書館の見学者は毎年、15万人に達し、中でも中国大陸からの旅行客と地元の華人旅行客の伸びが急速です。この点に関して、我々が検証を行ったところ、確かに報道は、誇張ではないことが分かりました。
中国からの学生団体を手配する斡旋機関は、アメリカ西部でサマーキャンプを行う際、みな、ニクソン図書館の見学を日程に入れていました。
どの斡旋機関も例外なく図書館の見学を日程に組み入れましたが、これは、政府が直接あるいは間接的に手配したのでしょうか。上海の斡旋団体は、この点に関し、否定はしませんでした。
(記者):ほかに伺いますが、中国領事館がやってくれたのですか。
(上海“X紅文化伝播公司”担当者):ええ。
(記者):中国領事館のどの部門ですか。
(上海“X紅文化伝播公司”担当者):我々の所には、担当の責任者がいます。我々は分担しています。例えば国内、国際、米国、アジア、それぞれ別の人が責任者です。
新唐人テレビ・評論員 文昭氏
中国から団体として、欧米に行き視察、交流をする際、通常、担当の政府部門に報告します。渡航の日程や目的を伝えるのです。学生の交流活動は、教育管理部門に報告します。斡旋する機関は、ずっとこれで利益を得ています。だから政府との付き合いに気を払います。どんな日程だと
当局から喜ばれるのかなど。もちろん斡旋機関も当局から指導を受けます。だから、大使館・領事館が一切の民間活動を管理できなくても、活動全体として 管理の手は緩めません。
小中学生の図書館や博物館の見学は、一種の課外活動です。そこから、歴史や文化を吸収できます。
では、毛沢東像が飾られた世界の指導者ホールは、子供たちが歴史を正確にとらえるのに役立つのでしょうか。この点に関し、アメリカ人のある父親はきっぱりと否定しました。
旅行客 リッチー・エバンス氏
毛沢東は、こう描かれるべきではありません。ここの彫像は、子供が尊敬すべき人、子供の模範となる人です。でも毛沢東は、そういう人ではありません。毛沢東像と周恩来像がここにあるのは、彼らが偉大だと子供たちに伝えています。この点、私は大いに失望します。
新唐人テレビ局・評論家 文昭氏
自由の国・米国に来た中国の学生がニクソン家と毛沢東との関係を知らずに、毛沢東と周恩来が尊ばれるのを見れば、子供たちへの影響は大きく、国内の愛国教育では発揮できないほどです。
ニクソン図書館がアメリカの国立公文書記録管理局の所管に入ると、所蔵品の扱いが課題になりました。
毛沢東像の存在は、アメリカ政府の態度をも意味します。陳氏の抗議を受けた新任の館長の態度は、意味深いものでした。“ロサンゼルス・タイムズ”の取材に対し、ナフタリ館長は、歴史学者出身として、陳氏の考えに賛同すると述べました。毛沢東を殺人鬼だととらえているそうです。
6月から図書館は、指導者ホールにこんな掲示を出し始めました。:歴史学者は毛沢東の政策、例えば“大躍進”“文化大革命”で中国人数千万名が亡くなったという認識で一致している。ここで、毛沢東像がほかの外国の指導者と並んで展示されていても、これはアメリカ政府の毛沢東政治への立場を表さない。
新唐人テレビの取材を受けたナフタリ館長は、図書館の展示を変えると語りました。
ニクソン図書館 現館長 ナフタリ氏
我々は博物館を引き継ぎました。全ての方に表明しますが、これから博物館を変えていきます。これで皆様に知っていただきたい。私は最初からそうやって来ました。現在の展示は我々がやったのではなく、これから我々が自分の展示をします。米政府の展示品への態度が分かるでしょう。陳凱氏が抗議されましたが、確かに一部の見学者は戸惑っています。これをはっきりさせたいです。それで掲示板を出しました。
しかし2009年10月、我々が再度ニクソン図書館を訪れると、本来掲示にあった“毛沢東は数千万の中国人の死を招いた”という部分が、削除されていました。掲示の内容をなぜ変更したのか、図書館は以前約束したように今の展示方式を変えるのか、毛沢東像と周恩来像は撤去されるのかについて、我々は再びナフタリ館長への取材を試みましたが、拒否されました。
この数ヶ月、何が起こったのでしょうか。新任の館長は、どこから圧力を受けたのでしょうか。我々は知る由(よし)もありません。
【司会者】
ニクソン図書館の毛沢東像が撤去されるのかどうか、近い将来、明確な答えが出るでしょう。毛沢東像が米国社会で醸した物議は、まだしばらく続くと思われます。この件はすでに遥かに、毛沢東個人への歴史評価を超えて、自由社会のモラルの再考を促しました。言論と表現の自由があるとはいえ、反自由の象徴的な人物を敬ったからです。これも自由かもしれませんが、このやり方自体が道徳的なのでしょうか。毛沢東像が発したメッセージは、この国の人々にどう影響するのでしょうか。どれも考えてみるべき問題です。本日の番組はここまでです。ありがとうございました。次回お会いしましょう。
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